「この子たちの夏」から「ねがい」へ

命の尊さを伝える朗読劇を上演している「とまとの会」です



日本各地の都市はたび重なる大空襲で焦土と化し、
多くの人々が命を奪われ、傷ついていました。

そして
8月6日午前8時15分
広島、

8月9日午前11時2分
長崎、

その上空で、アメリカ空軍機B29により、人類の戦いの歴史上初めて兵器として原子爆弾が投下 されました。

炸裂した原子爆弾の放出する巨大なエネルギーによって、二つの都市はかつて人類が経験したこ とのない凄まじい地獄へと瞬時に変わり果ててしまったのです。

現在に至るまで原爆死没者名簿には、毎年新しい名前が書き加えられ続けています。
「この子たちの夏」とはあの夏に被爆した人々の手記を基に地人会代表の木村光一氏によって構成された朗読劇です。

日本は世界で唯一の被爆国です

今 私たちはあの惨状を語り継ぎましょう。
そして地球上のどの国も決して同じ悲劇を味わう ことがあってはならないと伝えていきましょう。

85年から始まった「地人会・この子たちの夏」」の舞台で女優さん達が演じるのと同じ台本を 「とまとの会」も使用して朗読していました。

それは構成・演出の木村氏がこだわりぬいて作り上げたもの。

その台本をいじらず、真摯に取り組んで、朗読することに「とまとの会」もまた、こだわりを持っていたのです。

「この子たちの夏」公演は767回。

その舞台を、木村さんは

「毎夏静かに続けてきたのが誇り。『この子たちの夏』をやっている団体が、こんなことをやっていいのかと、自分たちを律する背骨のようなもの」とおっしゃっています。

「この子たちの夏」は木村さんのライフワークと言えましょう。

「とまとの会」のような全国各地のアマチュア団体が「自主上演」し、 それが今年5月までの17年間で3117回になりました。

2日に1度上演された計算になります。
ところが2007年、この木村氏の体力の衰えなどを理由に地人会が解散、それと同時に「この子たちの夏」も終わりを告げたのです。

「続けたいが、どこかに引き継げば済むという公演でもない」
解散時の木村氏の発言です。 

人としての純粋な気持ちで舞台に臨むことにこだわり続けた「この子たちの夏」

この朗読劇は木村氏をはじめ関わった人すべてに重く深いものだからでしょう。

※現在、『この子たちの夏』は、復活しています。
木村さんの後継者の方が2011年より引き継ぎ、(社)国際演劇協会との実行委員会形式で毎年 夏に上演されるようになりました。