「この子たちの夏」から「ねがい」へ

命の尊さを伝える朗読劇を上演している「とまとの会」です

2005年11月「とまとの会」の事務局が埼玉県にある丸木美術館を訪ねました。

「存続してほしい」という「とまとの会」のメンバーの心と寄付金を届けるために。

このお金は2005年の「この子たちの夏」を観に来てくださった皆さんからいだたいたチケット代の一部です。

お訪ねしたのは休館月曜日。

本来ならば休館日ですが、美術館の方はお忙しい中、心から迎えてくださいました。

そればかりか、丸木衣里(イリ)さん、俊(トシ)さん夫妻の作品、丸木衣里さんのお母様のスマさんの作品なども見せてくださいました。

働くことしか知らなかったスマさんが息子達の勧めで絵を描きはじめたこともここで知りました。童女のような無垢な絵に心が洗われました。

丸木夫妻のお描きになった「原爆の図」から「この子たちの夏」の上演時にホールに置かせていただくパネルの選択をしました。

美術館の方は、私たち、「とまとの会」の活動にも関心を示してくださいました。

また、存続が危うい丸木美術館のこともいろいろと話して下さいました。

なかでも印象的だったのは、寄付よりも多くの方の来場こそがうれしいという言葉でした。
確かにそうです。

寄付は一時的なもの。

それより夫妻が生命を削って作り上げた作品を通し、皆が平和の尊さに気づくことこそがこの美術館の意義なのですから。

その後、丸木夫妻の仕事場にも案内していただきました。

そのまま保存されている部屋。

たくさんの資料、絵筆、絵の具、ご夫妻の生存中、そのままの姿で残された 和室に足を踏み入れた時、お二人の姿が見え、声が聞こえた気がしました。

毎日、毎日ここで作品に取り組み続けたご夫妻の魂がそこに息づいているように感じました。

ご夫妻の住まいも兼ねた丸木美術館。

階段には光を受け、キラキラ光るステンドグラスが。

庭のそこにも、ここにも鳩のマーク。
建物の外壁のレリーフや階段など、いたるところに遊び心いっぱいの作品が。

楽しい工夫に癒されます。重厚な作品を見た後のつらい気持ちを救ってくれるようです。

ご夫妻の仕事部屋を拝見させていただいた後、美術館の下の河 原におりて、山を見ながらお弁当を食べました。

仕事場の窓から四季折々移り変わる景色になぐさめられながら、ご夫妻はお仕事をされていたのだと想いを馳せる私たちでした。

ぜひ一度は訪れてほしい丸木美術館ですが駅から遠くで確かに不便です。何かのついでに立ち寄るのは難しいと思います。

投下直後の広島で悲惨な人々の苦しみを目の当たりにした人と しての使命感から作品を残した丸木夫妻。

正直なところ、傷ついた人々のむごすぎる姿を見たあとの数日は、脳裏に焼き付いて、重い気持ちを引きずりました。

けれども見るのは一瞬、ショックも数時間、数日のものでしょう。

たくさんのデッサン、資料の数々を見て改めて思ったことは、描いた人達は膨大な時間を費やしてい るのですよね。
生活=原爆の図、片時も忘れることなく。

それでも、逃げ出したい、やめたいと思った日もきっとあったはず。
その度に無念な死を遂げた人達を思い出し、再び、絵筆を握ったのではないでしょうか。

この重苦しい気持ちを丸木夫妻ばかりに負わせるのはなんとも申し訳ないことではないでしょうか。

祈りにも似たその想いを次代に伝えていくのが私たちの使命と感じました。 (2014年1月11日更新 ぷちとまと)